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のんびりじいさん、ぶらぶら叔父さん

レオナルドの遺産-第06講-

レオナルドの父セル・ピエロの名にある「セルser」とは、彼が公証人という職にあったことを示している。イタリアでは「ノターイオnotaio」といって今でも存在する職業だが、契約文書などを公的なものとする際に必要なため、当時の文書の文末には担当した公証人の名がよく書かれている。

レオナルドの家系はヴィンチ村で代々公証人をしていたが、第02講でレオナルドの出生記録を書いた祖父アントニオ(セル・ピエロの父)の名にはセルが付いていない。レオナルドが生まれるもっと前の1427年に、アントニオが税の申告をした書類によると、当時56歳のアントニオが自分のことを正直にも「今まで何の職業にもついたことがない。いかなる役にもついたことがない。妻一人、子一人」と申告しているのがわかる。妻とはレオナルドの祖母ルチア、子は当時まだ1歳のセル・ピエロである。アントニオとルチアの間には20歳以上の年齢差があるが、これは第04講で述べたとおり、当時よく見られた光景だった。

余計なことだが、アントニオの父親もセル・ピエロという名なので時おり間違いそうになるが、孫に祖父の名をつけるのはよくあることで、昭和初期頃までの日本でも同様の習慣はよく見られた。

アントニオが一生無職でいられたのは、代々ヴィンチ村で地位を築いてきた同家に、土地や債券といった資産があったからだ。地主として土地を小作農家に貸しては地代をとっていたはずで、レオナルドの実母カテリーナもそうした小作農家の娘だったのだろう。

さて祖父母夫婦の間には、次男が生まれてジュリアーノと名付けたが、早くして亡くなってしまった。その下に長女ヴィオランテ、次いでフランチェスコと続くが、レオナルドにとって叔父にあたるこのフランチェスコもまた無職のまま一生を終える。1457年の申告書類には当時22歳のフランチェスコについて、「家にいて、何もせずぶらぶらしている」と書かれている。のんびりした一家にあって、セル・ピエロだけが出世欲に燃えている感じだ。

父がフィレンツェに出て事務所をかまえた後も、レオナルドはヴィンチ村で暮らしていたようで、祖父母と叔父のもとで可愛がられて育った。そのためかこの叔父は後に自分の遺産をレオナルドだけに相続させようとして裁判沙汰にまで発展している。その話はまたいずれ

画像: 生家と伝えられるアンキアーノ村の家。ささやかな博物館にもなっているが、この家屋が父の所有となったのはレオナルドの誕生後だったことがほぼ確実である。

 

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