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レオナルドの出生記録

レオナルドの遺産-第02講-

1452年。4月15日に、私の孫、息子セル・ピエロの子が生まれた。土曜日の夜中の3時だった。リオナルド(Lionardo)と名づけ、ヴィンチ村のピエロ・ディ・バルトロメオ神父が洗礼を授けた(…)

このメモは、レオナルドの祖父にあたるアントニオが書き残したものだ。政治家や書記などではない、ごく一般人が500年も前に記したメモが、こうして残っていることに驚かされる。
現在の時間に直すと4月15日の夜22時半にレオナルドは生まれた。時差がある日本では4月16日にあたるので、その日に生まれた私はちょっと嬉しい。
「ダ・ヴィンチ」とは、「ヴィンチ村の(出身の)」という意味にすぎない。昔の日本も同じだが、上流階級や由緒ある家系を除いて、ほとんどの人は苗字を持ってはいなかったので、往々にして出身地や居住地がそのまま姓の役割を果たしていた。バロック期の画家カラヴァッジョ(ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ)なども同様だ。そのためレオナルドは「Leonardo di Ser Piero da Vinci(ヴィンチ村のセル・ピエロの子レオナルド)」と呼ばれていたし、自分でも正式な署名にはそのようにサインしていた。彼が仮に他の街で生まれていたとしても、おそらく同家では「ダ・ヴィンチ」を苗字のように使っていたはずで、だから「ダ・ヴィンチ」を苗字のように書くのは間違いだとよく書かれているがあながち誤りでもないのだ。
ヴィンチ村は、イタリア中部の中核都市フィレンツェの郊外にある小さな街だ。同地域ではごく一般的な丘の上の街だが、レオナルドのおかげで狭い街中に複数の博物館がある。そして街のやや小高いところに建つサンタ・クローチェ教会が、レオナルドが洗礼をうけた場所だ。
教会を入るとすぐ右に、洗礼盤のある部屋がある。うすぐらく静かな教会のなか、黒々とした金属製の洗礼盤にたたえられた水に、生まれたばかりのレオナルドが浸けられて泣いていたことだろう。

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